弁護士由井照彦のブログ

法律の視点からの社会・事件やリーガルリサーチについて

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現代の「勘当?」−子供に財産を全く残さないことができるか?

記事の泰葉氏が実際のところどのような財産状態で、本当に実家の財産を当てにしているかどうかは、知る由もありませんが、それはともかく、自分を相続するであろう子供に大きな借金があり、先祖伝来の土地などの財産を守りたい場合にどうすればよいのか悩む人もそれなりにいます。

そのような場合に、まず、すぐに考えつく手段として「遺言」があります。つまり、

民法961条「十五歳に達した者は、遺言をすることができる。」

民法964条本文「遺言者は、包括又は特定の名義で、その財産の全部又は一部を処分することができる。」

 という規定を使って、遺言をするわけです。 

例えば、Xには、先祖伝来の土地(何箇所かに分かれていて、評価総額は5000万円ほど)と、5000万円の現預金の計1億円の財産があったとします。そして、XにはAとB2人の子供がいましたが、Aは若い頃から定職につかないにもかかわらず、贅沢好きの遊び人で、負債額が1億円を超えている一方、BはXの会社を継ぎ、真面目に働き、会社を大きくしているとします。

この状況でXは、Aが遺産を取得してもあっという間に借金返済で消えてしまうことから、Bにすべての財産を相続させようと考え、

「私Xの遺産はすべてBに相続させる」

との遺言を残すことが考えられます。

しかし、ここで立ちはだかるのが、上記964条のただし書等であり、 

民法964条ただし書「ただし、遺留分に関する規定に違反することができない。」

民法1028条「兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。

一 直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一」

1031条「遺留分権利者及びその承継人は、遺留分保全するのに必要な限度で、遺贈及び前条に規定する贈与の減殺を請求することができる。」

 と定め、上記の例ではBには最低限、

1億円×1/3×1/2=約1666万円

の遺産を相続する権利が残ります。

 遺留分制度がなぜあるのかについては、深遠なる議論がありますが、ともかく子供(兄弟姉妹以外の推定相続人)である以上は、遺産の一定割合を相続する権利が保障されていることになります。

弁護士等の法律家が遺言書の作成を依頼された場合、遺留分制度による財産の取得を前提として、上記の例では先祖伝来の土地をAに食いつぶされないために、例えば、

「私Xは、私の財産の内、預金1667万円をAに相続させ、その余の財産は全てBに相続させる」

として、Aの遺留分減殺請求(遺留分に相当する財産を支払えという請求)を封じつつ、Aが先祖伝来の土地に手を付けることをも防ぐような遺言を作成することがあります。

 しかし、もっと強烈な手段もあるにはあります。つまり、

 民法892条「遺留分を有する推定相続人(相続が開始した場合に相続人となるべき者をいう。以下同じ。)が、被相続人に対して虐待をし、若しくはこれに重大な侮辱を加えたとき、又は推定相続人にその他の著しい非行があったときは、被相続人は、その推定相続人の廃除を家庭裁判所に請求することができる。」

 という規定を使って、当該推定相続人、上記の例で言えばBを廃除、すなわちそもそも推定相続人でなくしてしまうのです。ちなみに、この請求は遺言に書くことによってもできます(893条)。 

これは、昔の日本の「勘当」制度の一部が残存しているとも言えますが、推定相続人による「虐待・重大な侮辱・著しい非行」への相続人からの制裁の一種と考えられています。

もちろん、条文上「廃除を家庭裁判所に請求することができる」という規定ですので、請求を受けた家庭裁判所が相続権を全く失わせるほど重大な「被相続人に対する虐待・重大な侮辱、著しい非行」があるかを判断することになりますので、被相続人が自由に相続権を奪えるわけではありません。また、条文に「重大な」とか「著しい」とかいう文言があるため、家庭裁判所もそう簡単には廃除を認めません。

 しかし、廃除が認められると、その者、上記ではAは相続人でなくなりますから、Xの財産を一切相続することができなくなりますので、X(家)の家産は確実に守られることになります。

 ただし、ここから先に「廃除」制度の妙味があります。まず、

 民法894条1項「被相続人は、いつでも、推定相続人の廃除の取消しを家庭裁判所に請求することができる。」

 として、被相続人自身が廃除の取消しを請求できます。つまり、虐待・侮辱・非行を許し、制裁を解除して、その者、上記ではAを再度推定相続人に戻す選択肢を被相続人Xに残し、廃除後のAの更生を考慮できるようにしているのです。この廃除の取消しの請求も遺言でできますので、廃除されていたAが、X死後に遺言を確認すると許されていた=廃除を取り消し、相続させることにしていた、という親等被相続人による非常に奥深い(ある種ドラマティックな)処置・配慮を可能にしています。

 また、廃除に似た制度である、被相続人・先順位相続人を殺害した者や遺言書を隠匿した者などの相続権を否定する相続欠格という制度(民法891条)では、相続欠格者に対しては、

民法956条「・・・第八百九十一条の規定は、受遺者について準用する。」

 と定めて、被相続人からの遺言による財産の取得(受遺)すらもできないことが定められていますが、廃除によって相続権を否定された者に対しては、このような規定は存在しません。

つまり、被相続人は、狼藉を働いた推定相続人、上記のAを廃除して相続人から外しつつ、例えば、

「Aに対し、金500万円を遺贈する」

のような遺言をして、遺留分を下回る財産を残すという、ある種の最後の情けをかける方途も残されているのです。

相続というのは、被相続人の人生全体における他者との人格的な関わり全部が問題とならざるを得ません。また、先祖伝来の財産がある等、被相続人の更に上の世代からの人間関係すら問題となります。

民法はそういう非常に複雑で長期間に渡る人間関係を前提に、一方で紛争予防のために明確な相続ルールを定め、他方でそのルールを微妙に調整する諸制度を設けることで、「紛争をなるべく防ぎつつ、複雑な人間関係を反映させる」というある種矛盾した目標を達成しようとしており、見方を変えればそれが「妙味」ということになります。

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「辞めてやる!vs.手続きだ!」?−職業人の契約あれこれ

私は、宮沢りえさんの「Santa Fe」に衝撃を受けた世代なので、貴乃花にはいささかマイナスの感情がありますが、それはともかく、記事のように相撲協会芝田山広報部長が言う「適式な届けが出ていないので、受理していない。よって、明日も仕事していただく」という言動の意味を考えることは、職業人と企業等との契約を考える好古の素材です。

 相撲協会は公益財団法人ですので、法人運営の基本規則は、「定款」で定められています。相撲協会の「定款」の中で貴乃花氏の地位である「年寄」については、

 定款48条「①この法人には、協会員として年寄を置く。②年寄は、年寄名跡を襲名した者とする。③年寄は、理事長の指示に従い、協会事業の実施にあたる。」

 とされており、これが年寄についての基本規定になります。

①で年寄が「協会員」であること、③で年寄は相撲協会の役員・トップである「理事長の指示に従う」義務があることがわかります。

 また、

定款46条「①この法人は、相撲道を師資相伝するため、相撲部屋を運営する者及び他の者のうち、この法人が認める者に、人材育成業務を委託する。②この法人は、委託業務に関して、規程に定める費用を支払う。③委託業務に必要な事項は、理事会が別に定める。」

 とされており、相撲部屋の運営は年寄のみに認められるため、これも年寄の基本規定になります。

①②からは、「相撲協会は年寄に対し、人材(弟子)育成を『業務委託』することがわかります。

 まず、「指示に従う」の方の関係を考えるにあたり、ヒントとして相撲協会の決算書を見ると、「役員報酬」と「給料手当」が別に計上されています。つまり、相撲協会は役員には「報酬」を支払い、年寄や力士等の一般の協会員には「給料」を支払っていることがわかります。

「給料」については、所得税法に定めがあり、

所得税法28条1項「給与所得とは、俸給、給料、賃金、歳費及び賞与並びにこれらの性質を有する給与・・・に係る所得をいう。」 

とされています。つまり、給料とは「給与」の一種です。そして、給与(所得)については、裁判例(最判S56.4.24民集35.3.672)が、

 「給与所得は、雇用契約又はこれに類する原因に基づきなされた、非独立的な労務提供(人的役務の提供)の性質をもった所得・・・」

 としており、基本的には雇用契約の対価・給料です。

 これは定款48条で、年寄は「理事長の指示に従う義務」があるとされていることとも整合します。

つまり、定款48条での相撲協会と年寄の関係は雇用契約と考えられます。

 次に、定款46条の「業務委託」とは、民法上の準委任契約のことを指しますので、相撲協会と年寄の弟子育成に関する関係は、準委任契約と考えられます。

 さて、今回貴乃花氏は、「相撲協会を退職する」と相撲協会に伝えた、言っていますので、上記の雇用契約も、準委任契約も解除するとの意思表示を相撲協会にした、と主張していることになります。

そうすると、雇用契約については

民法628条「当事者が雇用の期間を定めなかったときは、各当事者は、いつでも解約の申入れをすることができる。この場合において、雇用は、解約の申入れの日から二週間を経過することによって終了する。」

 ということになり、遅くとも2週間後(10月9日)には、貴乃花氏は相撲協会から退職したことになります。

次に、業務委託(準委任契約)については、 

民法651条「委任は、各当事者がいつでもその解除をすることができる。」

 とされており、昨日の段階で、貴乃花氏と相撲協会の準委任契約は終了していることになります。

 相撲協会がこれを喜んでいるのか、一旦、翻意させたいのか不明確ですが(というより、不明確にするような対応を故意にしているような気がします)、上記の規定があるため、退職の意思表示がなされてしまったとすると、相撲協会が「受理」するかどうか判断することはできず、これ以上何も言うことがない・できないことになります。

 そのため、「適式な退職届が無い」、すなわち、「そもそも貴乃花氏は退職の意志表示をまだしていない」または「雇用との関係では退職日は昨日ではなく、2週間後である」という主張をするしかなく、それが芝田山広報部長の記事のような発言になったと思われます。

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開き直りは得策か?ーふるさと納税と寄附金制度の本質

総務省ふるさと納税の返礼品を地場産品に限定し、返礼率も抑えようと要請するのに対して「要請は助言」と開き直る自治体や首長を「頼もしい」と讃える風潮がある地域もあるような気がしますが、それはともかく、開き直った先に展望があるか?をふるさと納税の本質や正当性の観点から考えるのは、今後の制度議論にとても有益だと思います。

ふるさと納税とは、地方税法37条の2所定の「寄付金税額控除」という制度の別名です。これは、

地方税法37条の2「道府県は・・・納税義務者が・・・寄附金を支出し、当該寄附金の額の合計額・・・が二千円を超える場合には、その超える金額の百分の四・・・に相当する金額・・・を当該納税義務者の・・・所得割の額から控除する・・・。

一 都道府県・・・に対する寄附金(当該納税義務者がその寄附によつて設けられた設備を専属的に利用することその他特別の利益が当該納税義務者に及ぶと認められるものを除く。)」

 という規定です。つまり、ふるさと納税とは、

ふるさと(地方)に「納税」するのではなく、

地方自治体に「寄付」を行った場合に、寄付金額を自分が居住する自治体への住民税等の税額から「控除」して(引いて)もらう

 という制度です。

ここで重要なのは、私達が自治体に払うのは「寄付」であって、「税」でないことです。

この「税ではなく寄付である」というポリシーは、上記規定自体、カッコ書きが、自治体から「特別の利益が及ぶ」場合には、寄附金控除しない=住民税等を減らさないことを定めて、

「寄付」は無償の行為(好意?)であって、対価(何らかの利益)を得るべきではない

という価値観を明確に定めていることからもわかるとおり、寄附金控除制度=ふるさと納税制度の正当性の根幹です。 

ちなみに似たような制度として、所得税法

所得税法78条「1 居住者が・・・特定寄附金を支出した場合において、第一号に掲げる金額が第二号に掲げる金額を超えるときは、その超える金額を、その者のその年分の総所得金額、退職所得金額又は山林所得金額から控除する。

2 前項に規定する特定寄附金とは・・・

一 国又は地方公共団体・・・に対する寄附金(その寄附をした者がその寄附によつて設けられた設備を専属的に利用することその他特別の利益がその寄附をした者に及ぶと認められるものを除く。)」

 という規定があり、カッコ書きまでそっくりです。そして、この所得税法上の寄付金控除の趣旨・目的については、ある裁判例が、

所得税法78条所定の寄付金控除の制度は、公益的事業に対する寄付の奨励を目的とするものである」

 

 としており、あくまで「寄付」の奨励が目的であることを明確に述べるとともに、

「これを無制限に認めると種々の弊害が生じるためその適用範囲は厳格に定められており」

として、「寄付金」の弊害に言及しています。この「弊害」については、法人税法上の寄付金についての規定(一定額以上は損金に算入しないという制度)についての裁判例が具体的に

法人税法が一定金額を超える寄附金の額の損金不算入の制度を設けているのは、法人が支出した寄附金の全額を無条件で損金の額に算入するとすれば、国の財政収入の確保を阻害するばかりではなく、寄附金の出捐による法人の負担が法人税の減収を通じて国に転嫁され、課税の公平上適当でないことから、これを是正することにある」

と説明しています。この弊害は所得税法地方税法における個人(居住者)についてもあてはまります。

 つまり、我が国の税法は、公益的な寄付を奨励しつつも、税の減収やそれに伴う税の不公平という弊害・実害に対処すべく、寄付金を税から控除することを一定範囲に限定していることになります。

 さて、この「我が国全体の税の寄付金に対する姿勢・態度」という視点で今回のふるさと納税の議論を見直すとどうなるでしょうか。

まず、地方自治体への寄付を奨励する目的とは、当該地方の収入増と地元振興ということになります。

したがって、寄付金がなされても高額な返礼品を返すようでは、収入増が限定的になりますので、ふるさと納税という寄付金制度を、弊害を甘受してまで国が奨励し、設営する意味はなくなってしまいます。つまり、高額な返礼品は、ふるさと納税制度の根幹を揺るがす可能性を含んでいると言えます。

他方、地元振興という視点からは、地元産品を返礼品にするのであれば、寄付金(ふるさと納税)が自治体を経由して地元の産業に還元されますので、返礼品とセットのふるさと納税制度の存続理由となります。逆に言えば、地元産品でない物を返礼品しても、ふるさと納税を、弊害を甘受してまで国が奨励し、設営する理由はなくなってしまいます。つまり、地元産品以外を返礼品とすることは、ふるさと納税制度の根幹を揺るがす可能性を含んでいるといえます。

そうすると、今回の総務省ないし野田総務相の「ふるさと納税は制度存続の危機にある」という言葉は、我が国全体の税制又は税法の立場からは、それなりの説得力があり、単なる脅しと考えて開き直るのは、その先の展望が無いように思われます。

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落ち着きどころは難しい?−債務免除と安売りと税金

スルガ銀行の経営陣や個々の銀行員の責任はこれから厳しく問われていくと思われますが、それはそれとして、同行から融資を受けてシェアハウスを建てた人(スルガ銀行からの借主)について、今後どのような落ち着きどころを探るかは非常に難しいものと思われます。今回は、その難しさの一面を税法を通して考えることにします。

まず、スルガ銀行融資のシェアハウスの問題点の1つは、記事にあるとおり、銀行によるシェアハウスの評価額が、真の評価額の1.7倍、水増しされているということです。

この評価額はDCF法、つまり、シェアハウスとして入居者を募集し、将来上がる(はずの)利益を基に算出された額ですので、大まかに言えば、融資時の計画の約6割弱しか賃料収入が入ってこない可能性が高いことを示しています。想定の6割弱の収入で、スルガ銀行からの融資を返せるはずはありません。

では、借主が自腹で(赤字で)返済できるか?というと、スルガ銀行は顧客の資産について資料を改ざんして融資を実行したことからは、借主の自腹での返済もかなり困難と考えたほうがよいと思います。

つまり、借主としては賃料からの返済もできず、自腹で返済する資産もありません。この状態を「債務超過」といいます。

個人が債務超過になって、生活が回らなくなった場合の典型的な手段は破産です。破産とは、要するに個人のプラスの資産をすべて換金し、そのお金でできるだけ借金を返した上で、残りの負債を免除するというものです。ある意味非常にわかりやすく、公平でもあるのですが、シェアハウス以外に資産(自宅など)がある人にとっては、スルガ銀行スマートデイズの口車に乗ったがために、資産が0になる、というのはなかなか受け入れがたいところがあります。

この逆の解決が、スルガ銀行が借主に対する債権を全部放棄するというものです。この解決は借主がほぼ無償でシェアハウスという不動産を手にできるという問題があります。この事件でシェアハウス投資を行う判断をしたという投資家責任を借主に負わせるか否か?という問題以前に、無償で資産を手にできる人が出てくるのは、相当に不公平ということになります。また、実は次に説明する税金の問題もあります。

そこで中間案として出てくるのが、スルガ銀行にシェアハウスの所有権を渡すことで、借金を返したことにする解決です。これを代物弁済といいます。これは、不正を働いたスルガ銀行に不正により水増しされた価値分の損失を負わせるものであり、借主は何の責任も負わなくてよいか?との問題はあるものの、それなりに不正の実態に即した解決です。

しかし、立ちはだかるのは税金の問題です。

仮に、借主はスルガ銀行による1億円という評価を基に同額の融資を受けてシェアハウスを建てたが、実際の価値は6000万円だったとします。実際の価値が6000万円にしかならないからこそ、代物弁済という手段での返済を行うわけですから、建物の価値は6000万円である!というのが借主の主張ということになります。

そして、実際に借りた1億円との差額4000万円についてはどうなるか?というと、スルガ銀行から債務免除(債権放棄)を受けた、と考えるのが素直な構成です。ここで、「債務免除」を税法的に構成すると、

相続税法1条の4「一 贈与により財産を取得した」

にあたることになります。つまり、借主に贈与税が課税されるわけです。

仮に、4000万円の債務免除を受けたとすると、贈与税額は、

(4000万円−110万円)×55%−400万円=1679万円

となり、かなりの負担です。

では、これを避けるためにシェアハウスの価格は1億円だ!と強弁して代物弁済する、ということも考えられますが、これは代物弁済の動機とまったく矛盾しますので、国税当局が耳を貸す可能性は低いように思います。

そうすると、国が税法上の特例を作る形で救済スキームを立法化すれば別ですが、単純な代物弁済による解決はかなり難しいことになります。

このように落ち着きどころの難しい問題を生じさせたことも、スルガ銀行スマートデイズの罪と言えるかもしれません。

headlines.yahoo.co.jp

違法と不当−行政に絡まる2つの視点?

記事のように、これらの問題を「違法なのか?」という視点でとらえる見解が散見されます。このような見解は、おそらくは安倍政権擁護という目的又は政治的意図はともかくとして、行政府(総理大臣は行政のトップ)の行為の評価の観点からは中々興味深い内容を含んでいます。

これを「政治的に」ではなく、あくまで「法的に」考えると次のようになると思います。

行政府が何かをするにあたって、最も典型的で権力的な行為は「行政処分」です。食中毒を出した飲食店に都道府県(保健所)が営業禁止処分を下したり、現在問題となっているように学校の設置を認可(処分)したり、といったようなものです。

行政処分に不服がある場合に、一般人がすぐに思いつくのは訴訟、つまり裁判所=司法権に訴え出て、処分を取り消してもらう、ということだと思います。いわゆる行政訴訟、処分取消訴訟というやつです。

問題は、その先、つまりどういう場合に、裁判所は行政府が行った処分を取り消すのか?言い換えると、どういう場合に、裁判所は取り消してよいのかということです。

これは一言で言うと

「処分が違法なとき」

ということになります。

当たり前じゃん、という声が聞こえそうですが、ここに妙味が隠されています。

つまり、

処分が「不当」であっても、「違法」でなければ、裁判所は処分を取り消してはならない

ということです。

獣医学部設置問題に引き直すと、

①K学園が設置する獣医学部

②S大学が設置する獣医学部

③Y学校が設置する獣医学部

 の3つが申請を出し、法律が定める設置基準を①②は満たし、③は満たしていないとします。また、今回設置が認められるのは1校のみとします。

ここで文科省が③に設置許可を出した場合は、法律で定める設置基準を満たしていない学校に設置を認めたのですから「違法」ということになります。

この場合は、裁判所は③に対する設置許可処分を取り消すことができます。

一方、①②はどちらも法の定める設置基準を満たしているものの、①の方がよりわが国の獣医学やバイオ技術基盤整備に資する(公益に資する)とします。

この場合に文科省が②に設置許可を出した場合、これはより大きな公益の実現の妨害になりますので、「不当」と評価されます。

しかし、「不当」であっても法定の設置基準を②も満たしている以上「違法」ではありません。

このような場合には裁判所は②への設置許可処分を取り消すことができません。

行政府が行う行政処分を、行政府ではない司法府が取り消すことができるのは違法な場合に限定される、というのは三権分立の表れと言えます。

違法ではないが不当という場合に行政府の処分を糺すためには、行政府自身が取り消すという決定をすることになります。例えば、行政府の処分の妥当性を行政府自身が点検・審査する行政不服審査では、行政処分の「適法or違法」だけでなく、「妥当or不当」の審査も可能であり、不当な行政処分を取り消すことができます。

つまり、行政府自身が行政府の行為を点検するにあたっては「違法かどうか」は1つの視点にすぎず、

「より公益に資する処分はなかったか?」

という公益の実現を目的とする行政府らしい、より重要な視点が要求されることになります。

さて、今回の森友、加計問題は、行政府の決定にあたって、行政府がどのようなプロセスでどのような事項・利益を考慮したか?が問題となっています。「首相案件」というフレーズも、「経営者が首相のお友達か否か?」という本来考慮すべきでない事項が処分決定に影響を及ぼしたのではないか?が問題にしていますので、正に「妥当or不当」の問題です。

ですので、これを総理大臣をはじめとする内閣(行政府)が国民や国会に説明するにあたっては「違法かどうか」よりも「妥当か不当か」「考慮すべきでない事項を考慮したか否か」がより本質的な問題と言えます。

ついでですが、行政府の処分の違法性・不当性を国会がどう扱うかというと、究極的には憲法上総理大臣の指名(67条)、内閣不信任決議(69条)という国会に与えられた権能を使って、総理大臣を交代させて糺す、ということになります。国会が処分を直接取り消すのではなく、行政府のトップの交代により行政府を制御するという仕組みであり、三権を分立させた上で議院内閣制を採用しているということになります。

 

agora-web.jp

文書管理の大事さ−決裁文書の書き換えはなぜ罪深いのか?

以前にも少し書きましたが、今回安倍首相や麻生財務大臣に問われている「政治責任」という言葉は曖昧で確たる内容を持っていないコトバです。そこで今回は、安倍首相・麻生大臣の政治責任の基礎の1つである決裁文書書き換えの罪深さについて少しだけ説明したいと思います。

基本となる法律は、私は情報公開法だと思います。同法はその目的として、

情報公開法1条「この法律は、国民主権の理念にのっとり、行政文書の開示を請求する権利につき定めること等により、行政機関の保有する情報の一層の公開を図り、もって政府の有するその諸活動を国民に説明する責務が全うされるようにするとともに、国民の的確な理解と批判の下にある公正で民主的な行政の推進に資することを目的とする。」

と定めています。

条文構造を読み解くと、

①政府の国民に対する説明責任

②国民の的確な理解・批判の下にある公正で民主的な行政

 が2大目標です。そして、この2大目標実現のために

ⅰ)行政文書の開示請求の権利の規定整備

ⅱ)行政機関保有情報の移送の公開

 という2つの手段的な目標を定めています。

そして、情報公開の究極的な理念として

国民主権の理念

を明示しています。

つまり、行政府が保有する情報の公開について、国民に開示請求を認めることで、国民が行政を監視を可能にし、公正で民主的な行政を実現しようとしています。

そのため、

同法3条「何人も、この法律の定めるところにより、行政機関の長…に対し、当該行政機関の保有する行政文書の開示を請求することができる。」

と国民に包括的な情報公開請求権を付与し、

同法5条「行政機関の長は、開示請求があったときは、開示請求に係る行政文書に次の各号に掲げる情報(以下「不開示情報」という。)のいずれかが記録されている場合を除き、開示請求者に対し、当該行政文書を開示しなければならない。」

と定めて、行政に対して原則公開を義務付けているのです。

実際的に考えても、行政がどのような資料を基礎に、どのような過程を経て、どのような利益を守るために、どのような判断をしたのか?等がわからない限り、国民が行政が「国民のために役立っているのか?」を判断することは全く不可能ですので、行政に対する情報公開請求権は、国民生活にとって非常に重要な権利です。

他方で、上記5条で不開示情報については行政は公開しなくても良いと定められています。これはもちろん、公開することでかえって国民の不利益となるような情報を公開することは、「公正・民主的でより良い行政の実現」という情報公開法の目的にそぐわないので、行政は開示しないことができることを定めたものです。

不開示情報には、個人情報のような国民個人の権利保護を目的とするものもありますが、

同条4号「公にすることにより、犯罪の予防、鎮圧又は捜査、公訴の維持、刑の執行その他の公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがあると行政機関の長が認めることにつき相当の理由がある情報」

同条5号「国の機関、独立行政法人等、地方公共団体及び地方独立行政法人の内部又は相互間における審議、検討又は協議に関する情報であって、公にすることにより、率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ、不当に国民の間に混乱を生じさせるおそれ又は特定の者に不当に利益を与え若しくは不利益を及ぼすおそれがあるもの」

 のように個々人の権利保護というよりも、多数者の共通利益=公益保護が目的のものが大半を占めます。

したがって、

「公益保護のための非開示情報にあたるか否か?」

「行政監視と公益保護のどちらが優先するか?」

の問題として、しばしば裁判で争われ、色々な判断がなされています。

しかし、そのような議論、争いも1つの大原則を当然の前提にしています。つまり、

「開示と決まれば、当該文書をそのまま開示する」

ということです。

開示が決まったので、開示前に元の文書を書き換えて開示する、ということが起こってしまうと、そもそも開示の意味はなく、行政の監視に役立つはずもありません。

だからこそ、決裁文書というのは一旦決裁に回されはじめた後に訂正する場合には、書き換えではなく、削除箇所に二重線等を引き、加入箇所には後から加入したことがわかるよう加入し、それぞれ誰が削除・加入を行ったかわかるように訂正者の印鑑を押印するのです。

紙そのものを入れ替えたり、まして最終決裁が終わった後に訂正するなどあり得ない、というのが情報公開法の大前提です。

つまり、決裁文書の書き換えは、情報公開法の目的である

①政府の国民に対する説明責任

②国民の的確な理解・批判の下にある公正で民主的な行政

 という価値を根本的に否定し、同法の究極理念である

国民主権の理念

 をも完全に否定する行為です。

今回、書き換えを行ったのは現在の政府の立場を前提としても、財務省理財局という「行政権」です。

行政権が、国民主権の理念の完全否定行為を行った場合に、当該省庁の長(今回では麻生氏)や行政のトップ(今回は安倍氏)はいかなる責任を負うべきか?という視点で今後の展開を見ると、曖昧な「政治責任」を少しは具体的に感じられ、有益だと思われます。

 

headlines.yahoo.co.jp

文書偽造は何を偽るの?−書換え問題を考えてみる

私は弁護士になる前にとある民間企業に勤めていたのですが、すべての決裁が終わった決裁文書を事後的に修正して入れ替えるなど、かなりマジな違法行為であることは従業員全員が当然の前提としていたように思われます。

しかし、そもそも今回の書換えというのはどのような犯罪になり得るのか?については悩ましいものが有ります。

「文書偽造」という犯罪は、例えば有印公文書偽造・変造罪として、

刑法154条1項「行使の目的で、公務所若しくは公務員の印章…を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した…公務員の印章…を使用して公務所若しくは公務員の作成すべき文書若しくは図画を偽造した者は、一年以上十年以下の懲役に処する。」

と定められています。

ここで大事なのは、一般のイメージとは異なり「偽造」とは「作成名義を偽る」ことを指し、内容が虚偽かどうかは問われません。簡単に言うと、AさんがBさんの名前で文書を作る、のが刑法上の偽造だということです。

これは、文書の作成名義さえ正しければ、内容が虚偽であったことの責任を作成名義人に追及(通常は民事訴訟によるでしょう)すれば、被害を回復できますが、作成名義を偽られると、真の作成者(犯人)の名前は文書のどこにも出てきませんから、責任追及がとても難しくなります。そのため、刑法は文書の信用性を担保するために、最低限作成名義を偽る行為を「偽造」として刑事罰を科して抑制しているわけです。これを「有形偽造」と言ったりします。

私文書においては、医師の診断書等を除き、文書偽造罪は有形偽造しか罰せられません。被害の回復方法=民事訴訟は正に私人間の争いを解決するための制度なので、内容虚偽は民事訴訟に任せてしまう、ということです。

しかし、公務所や公務員が作成する文書はそうはいきません。公的文書が発信されると、それを基礎に役所が動き、更に行政文書が作られて別の処分となり・・・というような連鎖が続きますし、各種の証明書を考えればわかるとおり、一般社会での公文書の信頼性は高いため、被害が私文書よりはるかに広がりがちです。

そのため、公文書については虚偽公文書作成罪として、

刑法156条「公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前二条の例による。」

 

 と定められて、作成名義を偽らずに(=有形偽造なしに)内容虚偽の公文書を作成することも有形偽造と同じ法定刑で罰せられます。これを無形偽造と言ったりします。

さて、上記規定を前提としつつ、各種報道を基に今回の書換え問題を考えると以下のようになるように思われます(ただし、報道が断片的な上、全てが真実かどうか不明ですので、あくまで仮定のお話です)。

大前提として、上記規定からわかるとおり、公文書偽造罪、虚偽公文書作成罪は10年以下の懲役という非常に重い刑罰が課される重罪です。

今回財務省が書換えを認める方針と報道される文書は財務省(近畿財務局)において、森友学園との契約を決める決裁文書のようです。

通常、決裁文書は、一番下位の者=起案者の印鑑からはじまり、順次上位の者が当該契約をOKと判断する旨を表示する(決裁する)ために印鑑を押していくものです。したがって、文書に印鑑を押した者全員の契約OKの意思=決裁がなされていますので、印鑑を押した決裁者全員が「作成権限者」と考えるのが自然です。

そして、3月9日の産経新聞の報道によると「財務省の説明では、同省近畿財務局で決裁に関わった27人にヒアリングしたところ、全員が決裁後の書き換えを否定した。」ということですので、書換えは決裁者以外の者が行ったということになります。そうすると、決裁者以外の者が決裁者名義の文書を作成したことになり、有形偽造が行われた、つまり書換え者に公文書偽造罪が成立することになりそうです。

ただ、官庁の文書の究極的な決裁者はそのトップである、つまりトップの決裁があればその他の者の「決裁」は内部手続事項であり、法的な作成権限はトップにのみある、だからトップの許可(決裁)があれば事後的な書換えは公文書偽造にあたらない、という「強弁」はあるかもしれません(私個人は相当に無理な解釈だと思います)。

しかし、その場合でも書換え後の文書は本来の決裁者達は現実には決裁していない(だからこそ決裁後の書換えを否定している)のですから、「決裁者が決裁した文書」という内容は虚偽ですので、虚偽公文書作成罪が成立する可能性は十分にあります。

もちろん、今回の事件でのトップとは麻生財務大臣であり、麻生氏が書換えを指示・決裁していたとしたら、非常に大きな政治責任を問われ、おそらくは内閣が吹っ飛びます。

仮に産経新聞の報道が間違っていた=決裁者が書換えを行っていたとしても、決裁者全員が書換えを決済していない限り公文書偽造になると思われます。決裁者全員で書換えを行っていたとしても、少なくとも決裁日、決裁番号については内容虚偽となりますし、前の文書が本来の決裁文書であることに変わりはありませんので、それを内容の異なる書換え後の文書はやはり内容虚偽となり、結局虚偽公文書作成罪が成立する可能性があります(この点は、書換えの内容によります)。

今回の書換え問題は、文書偽造罪、虚偽公文書作成罪という重罪と、恐ろしく大きな政治責任が絡んでいる、という視点をもって推移を見守ることはわが国の政治を考える上で、有益だと思います。

 

headlines.yahoo.co.jp

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